ブラックホールの奥のほうへの旅

Carlo Rovelli に導かれ、ブラックホールの奥のほうへの旅に出る。境界を超えて、宇宙の亀裂に転がり落ちる。急降下すると、ジオメトリーが折り畳まれるのがわかる。時間と空間が引っ張られ、伸びてゆく。ブラックホールの最深部に着くと、時空が完全に溶け、ホワイトホールが現れる。 でも、僕のまわりは何も変わらない。境界に近づいたり境界を超えたりしても(船が地平線を越えて僕たちの視界から消えたときに、何も特別なことは起こらないように)時計の針が遅れることはない。僕の周囲には何も奇妙なことは起こらないのだ。 君の時間は僕の時間ではない。時間の流れは相対的なものだから、お互いの時間が変わるということはいくらでもある。例えば、君と僕が「お互いにどのくらい速く移動するか」で時間は変わり、「どのくらいブラックホールのような巨大な天体に近づくか」でも時間は変わる。君には、ブラックホールに奥のほうに向かって落ちていく僕の時間は、遅くなり続ける。 何が起こったのか、少し考えてみよう。巨大な質量の星や銀河の中心を構成する物質が、重力が維持する他の基本的な力を無効にするまでブラックホールのなかを落下する。すると、そこにホワイトホールが現れる。現れたホワイトホールは、物質の構成要素を分離して閉じ込める。すべてが閉じ込められ圧縮されたところには、光さえも入り込むことができない。 そもそもブラックホールは球体ではない。時間の経過とともにますます長く狭くなる形をしていると思えばいい。長く狭くなった先の、最も深く最も暗い隠れ家のようなところに、特異点がある。私たちの世界で物質が圧縮の許容限界を超えて圧縮されるとリバウンドが生じるように、ブラックホールが特異点を超えてホワイトホールになると、突然宇宙の光が降り注ぎ、時空の向こう側に転がり出る。 そもそも、ホワイトホールは、突然現れたわけではない。ブラックホールがホワイトホールになっただけ、時間が逆転しただけなのだ。ブラックホールが量子ゆらぎで突然ホワイトホールになるまで、僕はブラックホールから逃れることができない。ホワイトホールにも、もちろん何も入ることができない。そこを通過している僕には何も変わらなくても、僕を見ている君にはホワイトホールとその先の時間は逆行している。 君の時間と僕の時間は違う? それとも違うように見える? 時間の流れは、どのように「個人的」で「相対的」なのか? そもそも、時間の流れは「絶対的」ではないのか? ホワイトホールの先の時間が逆転した世界には、何があるのか? ブラックホールとホワイトホールは対のものなのか? ブラックホールの手前の宇宙とホワイトホールの先の宇宙とは、対なのか? 対称なのか? 何か関係があるのだろうか? これを書いていて、僕は少しおかしくなっている。自分の知っている世界を離れ、知らない世界に入っていけば、自分の常識も、直感も、知識も、何の役にも立たなくなる。それはわかる。でも常識は最後までまとわりつき、直感は違うと言い続け、知識は最後まで捨てられず、新しいことの理解の邪魔をする。 僕が Carlo Rovelli に近づくことは、永遠にない。そんな心配はしないでいい。君がブラックホールの手前の宇宙にいて、僕がホワイトホールの先の宇宙にいるなんていうことが起こらないように、僕は Carlo Rovelli に導かれたりはしない。君をこちら側に置いてあちら側にいくなんていうことは、考えたくもない。